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東京高等裁判所 昭和55年(ラ)153号 決定

抗告人

甲野一郎

右代理人

河野光男

山本佳雄

事件本人

乙花子

未成年者

甲野太郎

外三名

主文

本件抗告を棄却する。

理由

抗告人は、「原審判を取り消す。本件を静岡家庭裁判所富士支部へ差戻す。」との裁判を求め、その理由とするところは、事件本人乙花子(以下、単に花子という。)は、昭和五四年三月頃未成年の子四名を抗告人方に置き去りにしたまま勝手に家を出て、それ以来現在に至るまで子らと別居し、同人らに生活費等も渡さず、実質上親権を全く行使していないこと及び花子に子らと同居してその監護養育を誠実になす意思があるとは考えられないことを勘案すれば、同人は、民法八三四条にいう「著しく不行跡」であるといえるというのである。

そこで、一件記録を検討するのに、花子は、昭和四一年五月一三日亡夫甲野和男と結婚して以来、同人の両親である抗告人及びその妻(昭和五二年六月一一日死亡)と同居し、和男とともに子らの養育監護に当つていたが、和男が昭和五二年一一月一五日死亡してから一年後の昭和五三年一一月末頃、結婚歴はあるものの当時独身であつた乙一雄と知り合い、同年一二月頃からは毎夜のごとく同人方へ赴き外泊し(当時結婚するまでの意思はなかつたが、情交関係をもつていた。)、朝帰りをするという生活を続けていたが、その間も子らと抗告人のために朝夕の食事の用意と洗濯等の家事は欠かさずしていたこと、ところが、花子の右外泊を快からず思つていた抗告人ら親族は、花子の処遇及び子らの養育監護の方法を定めるため、昭和五四年三月初旬頃花子欠席のまま親族会議を開き、「子供四人は抗告人方へ残し、花子を甲野家から出すこと」を決めるに至つたこと、花子はかねて抗告人に対し、自分は従前どおり抗告人方で子らと生活したいとの希望を表明し、ただ一雄との関係を維持することは認めてほしいと要請していたが、抗告人らはこれを聞き入れず、右会議の結果どおりにするよう花子に迫つたので、花子はやむをえず子らを置いたまま抗告人方を出て、昭和五四年三月一七日一雄と結婚するに至つたこと(当時花子は三四才であつた。)、その後、花子が子らへ生活費の仕送りをしていないことは事実であるが、同人は無職であり、他に収入の途はなく、和男の死後自己を受取人とする生命保険金は受領したものの、遺産相続によりみるべき資産を何ら取得していないこと、花子は、別居後現在に至るまで子らを引取つて親権者として監護養育する意思を有し、裁判手続を経てでもこれを実現したいと望んでいることが認められる。

右の事実によれば、夫和男の死亡一年後に当時三四才の花子が他の男性と情交関係を継続していたことは親権者としてなんら非難に値しないとはいえないけれども、これによつて子らの心神の健全な育成が妨げられたことを認め難い本件において、花子の右行為をもつて直ちに著しい不行跡であると断定することは酷というべきであるし、また、前認定の事実関係のもとにおいては、母として子らを監護養育する意思のある花子を子らと別居せざるを得なくさせ、親権を事実上行使し得なくさせたのは抗告人ら親族の圧力によるものと解さざるを得ないから、花子が親権を濫用しているものということもできない。

以上によれば、花子に民法八三四条に該当する事由があるとは認め難い。

よつて、抗告人の本件申立を却下した原審判は相当であるから、本件抗告を棄却することとし、主文のとおり決定する。

(蕪山厳 浅香恒久 中田昭孝)

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